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MEMOラフ博士のおもしろMEMO

ファラデーと親方と教授
”ファラデーの法則” で有名な ファラデー は、なぜ大成したのだろうか?
天才だったから?
・・・・・・ん・・・そうかもしれない。でも、確かに言えるのはやはり、
努力家 であったこと!、だっ!!

ファラデーは貧しい鍛冶屋の息子として生まれ、小学校の教育を受けた後、13才にして製本屋に丁稚奉公(でっちぼうこう)に出されてしまう。
彼が奉公に出された製本屋さんで扱っていた書物は、ほとんどが大学向けの科学や電気関係の本ばかりだったが、彼は勉強が大好きだったので、 休みの時間中、製版途中のそれらの本を読んでいたそうな。
ただ内容はあまりよく分からなかったとか・・・無理もないよね・・・ それでも読みつづけていたとか。

その中でも唯一理解できたのが、フラスコやビーカーなどの科学の実験器具のデッサンや図解。 それでも彼は、分かる範囲で来る日も来る日も科学の本を読み続けたそうです。

そんなある日、彼の住む町で市民講座が開かれることになった。
しかも、なんと、その市民講座の講師は、たまたま彼が毎日読んでいた本を著した教授だったのです。
そんなわけで彼はどうしてもその講座を受けたいと思ったのだが、この時代の市民講座は、 教授が小遣い稼ぎに貴族などの上流階級の人たちを相手に行うものだったため、受講料もかなりものだった。

しかし彼は負けませんでした!
兄や奉公先の主人(親方)に頼み込んでなんとか授業料を工面し、講座の受講にこぎ付けたのです。
彼の日ごろの思い入れが人の心を動かしたのかもしれません。

受講する前に親方が彼にこんなことを言ったとか。
「紙ならたくさんあるから、ノートは自由につくるがいい」
何気ない一言ですが・・・実はこれがとても重要なのです。
この言葉があったから、ファラデーは(へんに遠慮することなく)飛び切り上等なノートを作りました。 このことが、ファラデーの法則に結びつくのです!

その市民講座は、奇術まがいの科学反応を見せて驚かせるような内容だったようですが、 上流階級の貴族に混じって、服装はボロボロだけどやたら立派なノートを持った少年が、教授の目に留まりました。
そうです!ファラデー少年です。

しかもその、やたら立派なノートに書かれた実験器具の図はやたらと上手い!
教授は講義が終わった後もそれを忘れることができなかったようです。 (実はファラデーは、分からないなりに本を読んでいたときも、絵心のある先輩からデッサンなどを教わっていたようです)

月日が流れ、助手が病で倒れてしまった時に、絵心のない教授は、あの立派なノートの少年のことを思い出して助手に抜擢しました。
こうしてファラデーは科学者としての第一歩を踏み出したのです!

小学校しか出ていないファラデーはそのことにコンプレックスを持っていたようですが、ここでもファラデーの未来を変える教授からの一言があります。
「小学校しか卒業していない人しかできない発見もあるはずだ。
科学者にとって「常識」は時として発想の障害になることがある。」
その言葉に励まされたファラデーは、常識という呪縛に縛られることなく、小さな疑問もうやむやにしない立派な科学者に成長して行ったのです。

この話からも分かるように、重要なことは、
◎環境は与えられるものでなく、生かすも殺すもその人次第であること。
◎大成するために必ずしも専門知識が必要でないこと。
会社の中にもいますよね、
・環境が悪いと嘆く人。
・専門知識が無いので、専門の学校を出た人と較べて自分は劣っていると思ってしまう人。
・私はプログラマーとして、SEとして、長年やってきているから、と言って若い人の考え方を自分の枠の中にはめようとする人。

プラス思考でこの業界を改善していかないとね!
(ところで、蒸気機関の発明は何時ぐらいかな・・・・)

2004.05.06 HK

※ファラデーは、電磁誘導の法則、電気分解の法則など、生涯に数多くの発見をしました。

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